2015年10月16日 | 森山史海
「中傷サイト被害最前線」 第13回 誤ったネット情報による「安心感」の罠
インターネット上には、投稿者が画像を貼り付けることができる掲示板があります。面白半分、恨み、妬み・・・。貼り付ける側の動機は様々でしょうが、彼らが、その危険性を果たしてどこまで把握しているのかは疑問です。
本人の了承を得ないまま、裸の写真を堂々と貼り付けている投稿者は、自分が訴えられるということは想定しないのでしょうか。「どうせ調べられはしない」「仮に訴えられても自分は悪くない」。そんな問題そのものに対する、とてつもない侮りがあるようにみえます。
いうまでもなく、無断で他人の顔をネット上に使用すれば、「肖像権」の侵害となり、損害によって民事上の責任も発生しますし、「業務妨害罪」や「名誉棄損罪」に問われることもあります。公開された写真や動画に性器の露出等があった場合には、わいせつ物陳列罪にも当たります。自分の犯している罪に気がつかないままの人がどれくらいいるのでしょう。「捕まらないから大丈夫」では、およそ済まないことは小学生でも分かるはずなのに、どうして彼らのなかに侮りが生まれるのでしょうか。
法律がなめられているという人もいます。その発想からは、常にさらなる重罰化という方向も生まれてきます。ただ、それ以前に、正しい情報、知識が伝わっていないということがあるように思えてなりません。
これは、考え方によっては不思議な現実です。ネットが普及し、これほど一般市民が専門的な知見をはじめ、さまざまな情報に容易にアクセスできる時代に、こうした不正に対する歯止めとなるべき法律知識や常識が伝わっていない現実があるということです。
これは、一面、ネット社会が同時に、不確かな、あるいは間違った情報もまた流通させてしまっている現実がうかがえます。正しい情報だけでなく、もっともらしい誤った情報にも、ネット社会の私たちは安易にアクセスできてしまうのです。有り体にいえば、前記のようなネット上の行為にしても、ネット上に流れる「誰かもやっている」という情報や、「誰かが大丈夫といっている」情報、さらには、現実には存在しない本当のことのように書かれている「大丈夫だった」情報を、真に受けてしまうということが実際に行われているのです。がそれは、きちんとした情報が伝わっていないからです。
リアルの世界で、身近で実際に逮捕される人がいたり、訴えられたりする人がいなければ、偏ったネット情報による、その「大丈夫」とか、「調べられない」「捕まらない」という「安心感」は、その誤ったネット情報をもとに、延々と保持される。そして、それによって、加害行為も延々と次々に繰り返されていく――。
それが大きな犯罪に繋がっていく可能性は大いにあると思います。先に挙げた全裸の画像写真は、どんどん拡散されていき、削除は難しくなっていきます。どこにどのように広がっていくのか、誰にもわからないのです。そして、それは数年、数十年先まで残っていることもあります。
歯止めとなるべき法律や制度の情報ということについては、基本的には法律専門家の間でも取り組みなされ始めている法教育のなかで考えていくべきことかかもしれません。また、専門家がもっとこうした情報をネットで発信する必要もあるでしょう。しかし、根本的なこととして、ここまでネットが普及した今、こうした問題をもっと世の中全体で考えていくべきではないでしょうか。教育機関にとどまらす、行政や企業等、民間、家庭、すべてが協力し合い取り組んでいける活動が求められています。
中傷サイト被害最前線
第1回 サイバーオーディター (コラムが残っていないため表示できません)
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