司法ウォッチ 森山史海 コラム10

2015年5月17日 | 森山史海

「中傷サイト被害最前線」 第10回 ネット「告発」との区別

 最近、ネット上の誹謗中傷に対応するサイトが増えてきています。被害者に対して、何の対策も示されていなかった頃に比べると、大変良い傾向だと思います。ただ、残念なことに、いまだその多くは企業向けで、個人には対応していないか、対応をうたっていても現実的には利用が難しいところも多いのが現実です。

 実際に私も何カ所も問い合わせをしてみましたが、こちらが個人であると言うと断られることがほとんどでした。その理由として返ってきたのは、「個人では高額な報酬を払ってまでやる意味はないでしょう」という言葉でした。

 裁判もそうですが、すべての手続きには、もちろん、当事者にとっての採算性が問題にはなります。支出に見合うだけの価値があるのか、現実問題そこまでの支出をする意思があるか――。しかし、それは裏を返せば、やはりお金がなければ頼めない、解決の道が開かないということにもなります。

 本当に困っている被害者の救済をする上で、高額な費用は大きな壁であり、結局、費用の問題で泣き寝入りすることになります。前記のような、おカネの多寡をにらんで当事者が道を選択することは、現実的なことであり、これを「泣き寝入り」とはいわないという片づけ方をする人がいます。しかし、いうまでもなく、おカネのハードルが上がれば、泣き寝入りはそれだけ増えるという現実もまた踏まえなければ、問題は解決していきません。

 被害者を少しでも減らしていくには、できるだけ費用の負担がなく、同時に早急な対処が必要になります。前にも書きましたが、私たちサイバーオーディターの一番の、広めていきたい願いであり、また、活動の強みとして自負していきたいのは、とにかく「書くのをやめさせること」です。社会全体が、悪質な書き込みに対して、目を光らせ、許さない、と言う姿勢を示すこと。私たちは、そうした広い監視の目を作る、起爆剤になりたいと考えています。

 これも以前触れましたが、口コミを含めたネット上の投稿そのものには、さまざまな評価があります。詐欺や不当な対応を受けた被害者が、困った末に書き込み、それを社会に訴えて被害を食い止めることもあるかもしれませんし、内部告発的な評価がされるものもあります。

 しかし、そもそも事実の判断が、そのネット上の一方的な主張でできるわけはありません。事実でなかった場合、それによって全く無実なのに、被害者が出るという事態は放置できません。そして、ネット空間そのものには、そうした一方的な主張が、あたかも事実のように伝搬し、事実として扱われてしまう危うさがあるということも、私たちは常に考えなければなりません。サイトで公表することで被害を食い止める、ということと、このことは冷静に、また慎重に区別して考えなければなりません。

 企業の中傷コメント削除に向け、すべてを「中傷被害」として、おカネをとって対応する業者もありますが、それでは、利用者の真実の声も反映されなくなり、結局、企業側のブラックやグレーな対応の手助けになる、という見方も当然あります。ただ、逆にこのことと、個人の人権救済とははっきりと区別すべきであり、また、前記のような批判によって、個人が不当な書き込みから逃れる手がない、ということがあっていいわけもありません。

 サイバーオーディターは、現実問題としてサイト上の誹謗中傷の被害者が確実に救済されるよう努力します。大変嬉しいことに、この私たちの発想と活動に賛同してくださる方が増えてきています。ネットに書き込みをする当事者に、その手前でもう一度いろいろと考えて行動を選択してもらうためにも、このサイトを何とか広めていきたいと思います。

 ぜひ、このコラムを読んでくださっている皆様の協力をお願いしたいと思います。となたでもサイト内の問い合わせ先までご連絡を頂けたら幸いです。

中傷サイト被害最前線

第1回  サイバーオーディター (コラムが残っていないため表示できません)

第2回  最初の『彼女

第3回 巨大掲示板の恐怖

第4回  頼るところ

第5回  誰も手を差し伸べない現実

第6回  『書くことを止める』と言う発想

第7回  加害者に伝える『効果

第8回  『真実』という見えない壁

第9回  被害者と向き合うという原点

第10回  ネット『告発』との区別

第11回  拡散にご協力を!

第12回  『共犯者』という自覚

第13回  誤ったネット情報による『安心感』の罠

第14回  根本的な解決へ私達が今やるべきこと 

第15回  自らの行為に向き合ってもらうために

第16回  ねじ曲がって伝えられる被害訴えの真実

第17回  ネット被害対策としての教育

 

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